哲学通信

お釈迦様の話からアヒムサを考える。

ちょっと空いてしまいましたが前回のイエス様の話のつづきで今回はお釈迦様の話からアヒムサを考えてみました

前回の「イエスの言葉からアヒムサを考える」も読んでくださいね♪

前回も説明しましたがアヒムサとはヨガの教えの一つで非暴力という意味です。

もちろん暴力をしない事は大事ですがあまり自分からする事はないのでその前の、暴力をもし与えられてもそれを受け取らないという事を私は大事にしています。

暴力は殴るけるだけではなく、

妬みや嫉み、批判中傷も暴力です。

それを

受け取らない

インドのお寺

私の好きなお釈迦様の話を紹介させてください。

ある時お釈迦様がみんなに尊敬されているのを僻んだ男がお釈迦様に暴言をあびせました。

しかしお釈迦様は黙って聞いているだけ。

男は悔しくて毎日お釈迦様を罵っていました。

弟子達は悔しい気持ちであんな事言わせておいていいのですか?と尋ねました。

それでもお釈迦様は一言も言い返す事なくただ黙って聞いているだけ。

ある日男は一方的に悪口を言い続けて疲れてしばらくその場にへたりこんでしまいました。

その様子をみてお釈迦様は静かにその男に尋ねました。

「もし他人に贈り物をしようとしてその相手が受け取らなかった場合その贈り物は誰のものになる?」

男はいいました。

「そりゃ言うまでもない。、あいてが受け取らなかったら贈ろうとした者の物だろう。」

そういって男ははっと気付きました。

「そうだよ。あなたは私の事を酷く罵った。でも私は受け取らなかった。だからあなたが言った事はすべてあなたが受け取る事になるんだよ」